「普通ってさぁ」の”普通”について考えた

自分の基準があることって
大切だと思うのだけれど、
それが他人に対する
判断基準となる危うさ
について考えた。
要するに
「普通ってさぁ」と言うときの
「普通」について考えた
ということなのだけれど
娘たちのちょっとしたやりとりから
そんなことを考えてみた今日。
改めましてブログへようこそ。
自分らしい暮らしを選ぶための
気づきをお手伝いする
新百合ヶ丘のライフオーガナイザー
大村純子(おおむらじゅんこ)です。
下の娘(妹):
「あ~、○○ちゃんと○○くんと
あんなことも、こんなこともしたの
すごく楽しかったなぁ~。」
上の娘(姉):
「なんだか自慢みたいでイライラする」
気持ちをすらすらと口に出す妹に対して
あまり気持ちを口に出さない姉
どっちが普通で
どっちが良い、悪いもないのだから
表現方法なんて一緒じゃなくてもいい
と思うのだけれど、
私自身、
気持ちを口に出すことに違和感がないので
下の娘(妹)寄りになることが多く
上の娘(姉)の発言に反応することがある。
この時にも
これが自慢に聞こえるなんて~と反応した私。
よくよく聞いてみたら
羨ましいって気持ちがあった云々で
あ、なるほどね~と思ったわけなのだけれど
そんな中で
ついつい自分の考えを基準にして
他人のことを判断してしまう危うさを
上の娘が教えてくれているように感じた。
親である私の考え方ややり方が
“普通”になりがち。
そこに根拠がなく、説明もできず
自分の感覚でしかないのに
「普通」になってしまう危うさ。
親子間では特に
お互いが異なる人間だということを
忘れがちになってしまうもの。
時にその「普通」が相手や自分を
追いやってしまうこともある。
片づけも同じこと
自分のやり方が上手くいったからといって
他の人にその方法を強いたところで
必ずしも好ましい結果が得られるとは限らない。
「普通ってさぁ」
と自分の考えを押し付けたくなったら
「普通って何?」
と問いかけてみてもいいかもしれないな。

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